正直になれなかった大学生

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ドラゴンクエストⅥの「不安」感

1995年 (ちくま新書) 速水健朗 (著)

 

 1995年は戦後から現在に続く上での転換点である。

 

 私にとって1995年といえば…と言いたいところだが残念ながら生まれていない。ただ、私が好きな「ドラゴンクエスト」からならば少し語れるだろう。1995年といえば、『ドラゴンクエストⅥ』が発売された年である。この年は、セガターンやプレイステーション、さらにはその翌年に発売されるNintendo64などによるゲームの革新期であった。そんな中、SFCは下火であったが、その中で『ドラクエⅥ』の話題性は間違いなくあった。プレイすると分かるのだが、今までの他のドラクエとは少し違った様相を呈している。物語は主人公たちが倒すべき魔王との決戦直前から描かかれ、その後、主人公が悪夢から冷めたところからゲームはスタートする。フィールドに出ると「ふわふわ」としか表現できないようなBGMに不安感を覚える。物語を進めると、悲しいエピソードの数々、夢の世界と現実の世界を行き来することによるプレイヤーの混乱、オウムを匂わせるようなしあわせの国、そして物語終盤に登場するはざまの世界、その一つ一つが今までにない暗さや不安を演出していた。このゲームのテーマは「発見」であったが、この時代の日本における「自分探し」ともリンクしていたし、それはまさに1995年そのものの社会観を感じさせる。戦後から節目のこの年…というだけではなく、立て続けに起こる事件、経済不況の自覚、携帯電話やインターネットの普及、そして、いわゆる「大きな物語」の消失による不安感が顕著に出た年に見える。

 

 本書は、1995年に起こった様々な出来事を、政治、経済、国際情勢、テクノロジー、消費・文化、事件・メディア、といった視点から確認していくものである。著者は前書きで「最低限、懐古趣味を満足させるものできるのでは」と述べているように1995年をタイムリーに過ごした人にとってはとても読みやすく、過去を振り返ることができるような本になっているのではないだろうか。しかし、1995年代には、アニメでいうなら「エヴァンゲリオン」、事件でいうなら「オウムサリン事件」、災害で言うなら「阪神淡路大震災」など、歴史的出来事の重大性を見逃せない。何かを分析をしようとする際にも度々この年代の出来事について触れる本や文献も多い。文系の学生としては読んでおいて損はない、いや読んでおくべき「1995年史」だ。


印象に残った言葉

「日本人は歴史に学ぶことが苦手である。そして何事も忘れやすい。いまの時代でもオウム事件的なものは十分起こり得るだろう」

 

1995年 (ちくま新書)

1995年 (ちくま新書)