正直になれなかった大学生

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キャッチアップからゆとりへ、本当にゆとり路線で大丈夫か

アクティブラーニング 学校教育の理想と現実 (講談社現代新書) 小針 誠 (著)

 

 1970年代からの学力指導要項の度重なる改訂は検討されてきたのだろうか。

 

 学習指導要項によって打ち出された主体的な学びを軸とする改革は見事に失敗の連続だったと言われる。新しい用語として「アクティブ・ラーニング」(現在は「主体的・対話的で深い学び」)を謳い始め、あたかもそれが現場の教育状況を改善してくれる万能のものだという様に提示しているが、実際のところ、それは幻想ではないのかという疑問を著者は投げかける。

 

 戦後からのキャッチアップ型教育は「負の遺産」を生み出し、政府はそれに対応するため1997年の学習指導要項の改正で「ゆとりと充実」を目指し学習内容を削減、1989年にはゆとりある生活を過ごし、主体的に学ぶ意欲を身につけてもらうことを目指した。小学校では、社会と理科を廃止し生活科を創設。その後の1999年には総合的な学習の追加と完全週五日制による授業数の削減。個性重視のゆとり路線が進んだ。しかし、「ゆとり」による「総合的な時間」と教科授業の大幅な削減によって学力の低下が進んだ。2003年にはPISAショックが起こり、加えて総合的な時間に関する教師からの反発も少なくなかった。このようなことから2008年に「生きる力」は継承しつつも「確かな学力」へ方針を転化する。つまり、知識・技能を修得する基礎学力の充実とともに、志向力・判断力・表現力などを含む自らが学ぶ意欲の両立だった。そして、現在の「アクティブ・ラーニング」による主体的に学び考える力を養おうとしているのが現在の教育改革の方針だ。
 著者はこれら一連の学習指導要項改訂が分析や検討をされずに、場当たり的なものであると批判的だ。そして、その主張を著者の前著や苅谷の文献から学力低下を根拠にしていることがよく分かる。例えば、「『お店屋さんごっこ』の悲劇」と題した節では、かなり具体的な例を出して新しい学力についていけない、いわば「教育格差」の問題を挙げている。引用されている苅谷の主張の要旨は受験地獄から短絡的に「ゆとり教育」へ移り、その結果、親や社会の階層差が反映されてしまう現状をしっかり検討するべきだということ。一方、それを踏襲する著者の主張も短絡的「ゆとり」路線を進み革新的な「アクティブ・ラーニング」という言葉で幻惑しているのではないかと提示しているのである。

 

アクティブラーニング 学校教育の理想と現実 (講談社現代新書)

アクティブラーニング 学校教育の理想と現実 (講談社現代新書)