正直になれなかった大学生

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血は吹き出し、人は死に。シンデレラは姉たちを憐れまない

童話ってホントは残酷―グリム童話から日本昔話まで38話 (二見文庫―二見WAi WAi文庫) 三浦 佑之 (監修)

 

 童話はなぜ今の形になったのだろうか。

 

 本書は知られざる童話をまとめたものだ。例えば、ディズニーで有名な『シンデレラ』の物語では、意地悪な姉たちはガラスの靴を履くために足の指を切り落とし、かかとを切り落とし、シンデレラの結婚式場では少しでも幸運にあやかろうとして参列するもカラスに目玉をくり抜かれてしまう。こういった普段目にしない日本昔話からグリム童話が全38種類紹介されている。
 さて、なぜこういった話が表に出なくなっていったのか。それは物語が各地に広がっていったからではないだろうか。もともとは小さな集落や町などで禁戒や教訓として広まっていたことも多い。だが次第に、その特定の地域や集落で共有していた物語に政府や教育者などの団体や人物が関わってくるようになって様々な意見が混じってくる。そのような次第で童話は無難な方向へ改革されていったのではないか。日本昔話であれば、地域によって若干話の内容が違っていることも多々あるというが、このような話が共通の子供の絵本として、教育として使用される際には問題視される。それは現代でも考えれば分かることだ。本書で紹介される村八分を恐れるあまり自分の息子のお腹を搔っ捌く父親を描く『赤いまんま』、夏の間に遊び惚けていたキリギリスにアリが皮肉を言い放ち救いの手も差し出さない『アリとキリギリス』などを教材として使用したならば、批判の的になること間違いなしである。 また、これを現代で考えてみると、SNSで炎上する問題と似ている。身内でやればいいものをわざわざ大衆の目に曝すことによって発信者とその仲間たちは批判の的とされる。だからSNSの公的な場と考え過激な投稿は慎む。翻って童話も同じような現象である。身内の人々、集落で話されていた物語が大衆の目にされされる(共通の絵本や教材にされる)ことによって無難な絵本へと変わっていったのだと私は考える。

 

 以上、なぜ残酷な童話は人々に知られなくなっていったのかを少し考えてしまった。それは本書で紹介される童話があまりにも衝撃的だったからだ。いつの日か親に読んでもらった、またディズニーで見た物語が「実は…」といった物語がたくさん詰まっている。大人になった今「本当の」童話を読んでくらくらした。だが、同時にしっくりきた。それは残酷な描写や残酷な物語により教訓や世に対する皮肉に強烈な現実感があるからである。

 

読後の一言

「不思議なことに、いつも読んでいた童話よりも印象に残るんだよね」

 

 

童話ってホントは残酷 (二見レインボー文庫)

童話ってホントは残酷 (二見レインボー文庫)