正直になれなかった大学生

普通のことを普通につらつら書いていく。そんなブログ。

神が死んだのはなぜ

ツァラトゥストラはかく語りき (講談社まんが学術文庫) ニーチェ (原著), 堀江 一郎 (著), 十常 アキ (著) 

 
 「神は死んだ」。このフレーズはニーチェの代名詞的セリフだ。しかし、ニーチェが唱えた哲学をどれだけの人達が知っているだろうか。
 
 まずニーチェがなぜ「神は死んだ」と唱えたのか。それは「神」がルサンチマン、つまり嫉妬によって生まれたものだからだ。奴隷制がまだあった頃、奴隷たちは権力者に抗う術として「神」を作り上げ、その後「神」からの救世主が現れ「汝の敵を愛せ」と言った。この真意は「弱くても 信じていれば死んだあとに天国へ行ける」が「強くても威張っている奴らは地獄へ堕ちる」にある。つまり現実では抗うことはできないが我々は天国に行けるのだという逃避である。そしてこれは現代の「道徳」にも近い。ある資産家が農家の土地をレジャー施設を作るために買収した。それに対する農家は「今まで長い間ここで野菜を作ってきたんだ!」「人間じゃねえ!」と声を上げて同じことを訴え続けることと同じだ。しかし、これも資産家に対して勝つすべがない農家が「道徳」に逃避しているだけである。これは先の権力者と奴隷の関係とも同じで、奴隷が権力者に抗えないために、死んだあとどうなるかを考え出すようなことである。このような弱者から強者へのルサンチマンから「神」が生まれただけなので、ニーチェはもう神はいない、「神は死んだ」と示したのだ。
 
 さて、神がどうの道徳がどうのと話してきたが、「神が死んだ」がどういうことか少し見えただろうか。そして、この「神」が死んだことで世界がどうなったのか。それはニーチェに関する書籍や本書を読んでみてほしい。本書は名著を漫画にしてわかりやすくしたものである。しかし、ただ漫画にしてわかりやすく説明するだけではなく、サッカーを題材にしたストーリーがあり、それに沿ってニーチェの考えを練りこんでいく構成になっている。なので純粋にサッカー漫画としても読めるし、ニーチェの大まかな哲学もいっしょに知ることができる。
 
 最近できたこの講談社学術まんが文庫というレーベルは他にも、マルクスの「資本論」やドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」などを取り上げている。興味はあるけど原著を読むのは少し…という方には入門の入門にふさわしい入り込み方になっているので楽しんで読める。おすすめ!
 

 

ツァラトゥストラはかく語りき (まんが学術文庫)

ツァラトゥストラはかく語りき (まんが学術文庫)

 
 

企業「稼げるヤツがほしい」 学生「はやく内定だせ」

内定童貞 (星海社新書) 中川 淳一郎 (著)

 
 就活は茶番である。企業は美言麗句な企業理念を掲げながら、本音は「ウチが欲しいのは、稼げるヤツ。これが絶対!!!!!! そして、ガタガタ言わずに働くヤツ」、一方、学生は企業理念に合わせたエピソードを話しながら、本音は「どうでもいいから内定出せよ、オラ」である。
 
 私はこれらにはっとした。いや、冷静な学生ならこんなこととっくに気づくのだろうが、私は今まで気づかなかった。いや、気付いていないふりをしていたのかもしれない。例えば、説明会に行った時、営業マンの「営業は楽だよ、楽。美味しい店もたくさん知れるし」というセリフに私はひどく落胆したのを覚えている。それから説明会を数回重ねると、志望理由がいえない内定者、疲れた顔した面接官が登場し、その全てに落胆した。お前らに誇りはないのか! 誇りは! それから前向きで仕事に誇りを持っている社員を探したが、ダメな社員ばかりが目に見えていた。どこに行けば「仕事が楽しいです! 曲がった事はきらいです! すべて一生懸命くそまじめにやります!」といった崇高な誇りをもった社員は見つかるのか、そればかり考えていた。しかし、それは違った。どこの会社でも説明会やインターンで宣伝している業務内容には理想のギャップが必ず含まれるだろうし、社員の中にはサボりたい、金だけ稼ぎたいという人もいると思う。暗黙の了解のような茶番劇が繰り広げられていることを私は自覚している気がしていた。しかし、実はその茶番にどっぷり浸かっていた。
 本書を読んでそれがはっきり「茶番劇」だったのだと気付かされた。今更ながらではあるが。所詮「なんとなく」でしか内定を決めてない面接官相手に「こいつ、クソするよな」と思いながら面接に臨めばいい。気負いすぎてはいけない、それを知った。今まで「くそまじめ」過ぎたのだ。
 
 著者は、一橋大学出身&博報堂出身者。それゆえ就職の窓口の広さや融通の効きやすさなど他大学と比べて有利な点も多いが、大学で取り組んできたことを活かしながら合理的に就活に臨んでいた。Fラン大学生の身としてはこれら当たり前の行動や思考ができずに理想だけが高いことをもっと自覚するべきだと感じた。就活を皮肉った文章でフォントの大きさも新書とは思えない強調表現で読み手はテンポよく読み進められると思う。もし、内定がまだ取れていないという方、現状に納得できていない方は読んでほしい。
 
印象に残った言葉
「自ら磨き上げた自己紹介・自己PRの文章や面接で言おうと思ったことは、一旦『これを合コンに行ったらどうなるか(女性なら、言われて面白いと思えるか)』というフィルターを通したほうがいい」
 
内定童貞 (星海社新書)

内定童貞 (星海社新書)

 

 

今週読んだ本

 

隣の服はきれい

「隣の芝生は青い」
The grass is always greener on the other side of the fence


意味:何でも他人のものはよく見えるものである。


えー、なんか意味のわからない入り方をしてしまいました汗
他にも「隣の花は赤い」とか「他人の飯は白い」とかあるそうです。


そして、私は最近…というか昔から「人の服がきれい」に見えて仕方がありません。
何なんでしょう。あれ。自分の服はすごいパサパサなのにお洒落な人やきれいなお姉さんとかめっちゃ服が滑らかではないですか?! 上質ではないですか!? シルクみたいではないですか!? 皺すら見当たらない。私はスチーマー&アイロンで皺を伸ばしても気づいたらその日に皺がつくというのに。


なんでなんだろう。聞くと、やれ「ステゥディオス」とか「エンダースキマー」とか…あとなんか言ってたけど忘れた。とにかくあんなハイブランドっぽい、ちょっと通な服を着ている。
……と思いきや「ユニクロ」だったり「H&M」だったり私と持ってるブランド同じじゃん! って場合もある。
そしてなんだろう、翻って自分の服はいつも見てもB級品感が漂う感じ。


ちなみに私はほとんど「タケオキクチ」の服で固めてます。シャツ1着で2000円ですよ! ユニクロより安い…! まあ、ここ1年間は服買ってないんですけどね。。。


そういった生活をするからなんでしょう。「人の服がきれい」に見えるのは。

今幸せだよと胸を張れない。

どこかの誰かが文章に色が見えるという共感覚の持ち主だったと思いますが、私も色というかドロドロした感じを強く感じるようになっています。今。

最近、マイナス思考やマイナス傾向のある記事だったり堕落した文章を見ていると心が重くなって疲れてしまいます。


だからちょっと明るい記事でも書いてみようかな。
ただ明るい記事と言われるとどれが明るいのか分からない。

例えばなんだろう…。

彼女と今日水族館デート行って楽しかったよ〜!
今日は友達に誕生日祝ってもらって嬉しかった〜!
オープンキャンパスの表紙を飾った!

こんなん?

いやぁ、夢のまた夢な話なわけで現実感がないよ。薄っぺらい。

 

こないだ友達からもらった誕プレは嬉しくて大切に使わせてもらってます。

こういう小さい幸せがあるだけでもいいのかな〜。
というか小さいのかな、これって。

現実で満たされてることに目を向けないで幻想の幸せを求めすぎているのかな。

彼女彼氏がいるのにあーだこーだ言ってたり、浮気しちゃってる人もそういうところがあるんだろうな。
ってまたなぜか恋愛方向に…。


まだハッピーな明るい記事は書けそうではありませんが、今を少し見つめ直そうと…ん?なんか前も同じような内容を…。
何回自分見直してんだ!笑

あの公園に行きたかった

公園に行きたい。けどとても悩む。
あいつ1人で公園にいるよ。1人でブランコ漕いでるよ。なんて思われたらどうしよう。
そんな行きたさと恥ずかしさがせめぎ合っていたけど今その葛藤を超えて公園にいる。夜に近い夕方という人がいない時間にだけど。
 
そして公園に来た。そして思った。虫が多い。ベンチが汚い。廃れている。
こんな色をしていただろうか。もっと青い、澄んだ色をしていた気がする。
全然気持ちよくない。蚊の羽音がうるさい。急に飛んでくる虫が気持ち悪い。ベンチ塗装が剥げている。昔同級生がベンチの上に土足で上がったのは思い出して、座ってるのが気持ち悪くなってきた。そういえば小便してたやつもいたっけ? どうしてあんなことができるのだろうか。不思議でならない。
 
あぁ! 蚊、蝿、蜘蛛、落ち葉、ベンチ! すべてが気持ち悪い!
 
帰宅して、ブランコを漕ぐという大事な任務あったことを思い出した。
次はそれに乗りたい、恥ずかしいの葛藤が始まり、いざ乗った後にはまた残念な気持ちが待っているのかな…。
 

相手の常識を崩せ

武器としての決断思考(星海社新書) 瀧本哲史 (著)

 
 あなたは常識を意識したことはあるだろうか。
 
 本書の言う「決断思考」とは自分自身で「最善の答え」を出して前に進んでいくことである。例えば死刑制度は賛成か反対を考える時、1人2役になって賛成反対意見を戦わせ反論ができなくなるか3回ほどぶつけ合う。そして行き着いた意見を「最善の答え」とする。つまり、皆がこう言ってるからこうだ、あの専門家が言っているから間違いない、よく分からないからとりあえずそのままにしておこう、と思考停止になることではせず乱暴に要約してしまえば自分で頭を使えということだ。
 人間は主張をするときに意識に登らない前提を軸に意見を述べていることが多い。
 
 たとえば、知り合いのBさんかお年寄りに道案内しているところを目撃したとします。あなたは友人に、「昨日Bさんがお年寄りに道案内するところを見ちゃってさ。いい人だよね、彼」と話しました。
瀧本哲史 (2011)「武器としての決断思考」星海社新書 p,163
 
ここで「人助けする人はいい人だ」と判断を下したあなたの前提を本書では「推論」呼び、これは「無意識に言っていることが多い」。同じことを文芸評論家の千野帽子は『人はなぜ物語を求めるのか』で「信念」と呼んでいる。「同じできごとを前にして、人によってリアクションが違う理由がここにあります。人によって抱いてる信念が違うからです」。人が何かを主張する時にこの前提となる「推論」や「信念」が鍵となります。もっと言うとこの「前提」はその人が持っている「常識」であり、その人が持っている常識を崩せた時が一番の反論になるでしょう。
 本書はこれからどうなっていくか分からない未来を自分で考え、自分で道を決めていかねばならない大学生に向けて「自分で答えを出すための思考法」を教えてくれます。また、みんなが言ってるからと他人に追随してしまっている大人も読んでみてください。ディベートのための思考術になっているのでビジネスにおいて意見を通す際にも参考になる思考法でしょう。
 
印象に残った言葉
「『◯◯すべきか、否か』『◯◯は是か非か』という二者択一になるように論題を設定しなければなりません」
 
武器としての決断思考 (星海社新書)

武器としての決断思考 (星海社新書)

 

 

今週(先週)読んだ本

相性(お店)

 
外食するときに何を重要視するか。
料理の味? 内装の雰囲気? 値段? 接客?
接客! そう接客!
私は接客を1番重要視している。
しかし、これは人によって違う。
 
 
例えばAとBのうどん屋があったとしよう。
 
A店は接客がはきはきとしていて気前がいい。
しかし、内装は汚れていて味は普通。
 
一方B店は県屈指の味を誇り、なんどもグランプリで優勝している。
しかし、店員はぶっきらぼう。
 
どちらがあなたの好みにあうだろうか。
言い換えると、もう一度来たいかどうか。
 
もっと具体的に言うと、
A店には夫婦でやっている小さな店であるが独特の雰囲気があり、その雰囲気も相まってこの店で食べた時に安心感みたいなものが生まれる。
B店のほうでは写真禁止、おしゃべり禁止など意識が高すぎたり、ぶっきらぼうな店員の態度が気になる。
 
私だったら再訪はA店だ。
 
しかし、これは万人がA店が良いという訳ではなく人によってはB店が良いと言うだろう。そう「マッチング」なのだ。
 
最近、恋で「マッチング」、就活で「マッチング」、とこの単語を聞く機会が増えていたせいもあってか、店も「マッチング」なんじゃないかとふと思ったので雑記に書き留めた次第である。
 
合わせて、コミュニケーションの相性話もしたいがそれはまたどこかで…。