正直になれない大学生ブログ

趣味、鬱憤、等々つらつら書いていく。そんなブログ。

弟子は師匠から教わっていないことを学ぶ

日本辺境論 (新潮新書) 内田樹

 

 新書大賞2015で大賞を取ったこの本を今更ながらに読んでみた。

 この本で著者は、日本人がどれだけ辺境で、変わった国であるかということを述べる。

 難しい言葉(特に横文字)を多用しているのに、専門家以外にもわかりやすく書いてあるという著者の一文を見たときにはイラッとした。

 しかし、一つの主張に様々な道筋、例えなどが提示されていて、読み進めていくと「なるほど、そういうことか」と”ストン”と腑に落ち、理解できるように書かれている。

 

愚鈍になる日本人

 

 (略)何をやっても日本人がやることは無知ゆえに間違っている。これは華夷秩序イデオロギーが導く自明の結論です。(略)列島は「王化の光の遠く及ばない辺土」です。だから、中華風の「正式」ではあれこれ煩い決まりがあるようですけれど、情報に疎いのでどうするのが正式なのかわかりませんという言い訳が成立した。(略)「知らないふり」をすることで、こちらの都合に合わせて好きなことをすることができる。

 

 日本人がはるか邪馬台国から現代に至るまで、 無知を装ってきたという意見はとても新鮮だった。

 

 日本人は、外部のどこかに,世界の中心たる「絶対的価値体」があり(聖徳太子の時代でいう「隋」)、それにどうすれば近づけるか、どうすれば遠のくのか、その距離の意識に基づいて思考と行動が決定されている。

 そのために、世界の中心である中華の光が届かない辺境の地にいる私たちは、中華のルールはしらない。けれど、中華の文明や知識の得ることができるところは得ろうという立ち回りができたようだ。

 

日本人の学び

 今の大学には、シラバスという、講義の内容があらかじめ分かるように配慮されているものがあるが、著者は、「学びは成立しなくなる」と主張します。

 

 日本人はこれから学ぶものの適否について事前チェックをしない。これは私たちに刷り込まれた一種の民族誌的奇習です。けれども、この奇習ゆえに、私たちは、師弟関係の開始時において、「この人が師として適切であるかどうかについては吟味しない」というルールを採用していた。そういう仕方で知的なブレークスルーに対して高い開放性を確保していた。

 私たち日本人は学ぶことについて世界でもっとも効率のいい装置を開発した国民です。

(略)

 弟子はどんな師に就いても、そこから学びを起動させることができる。仮に師がまったく無内容で、無知で、不道徳な人物であっても、その人を「師」と思い定めて"衷心"から仕えれば,自学自習のメカニズムは発動する。

 

 これが欧米流なら、先に師に教えてくれることを聞き、それから学び始めるという順序を取ることになる。たしかに、この方が効率はいいかもしれないが、日本が現代まで、いち早く強国に追いつけたのは、日本人の持つ「学び」に対する高い解放性(とりあえず、飛び込んでみる精神)だったろうというわけです。

 

印象に残った言葉

 「人が妙に断定的で、すっきりした政治的意見を言い出したら、眉に唾をつけて聞いた方がいい。これは私の経験的確信です。というのは、人間が過剰に断定的になるのは、たいていの場合、他人の意見を受け売りしているときだからです。」

 

日本辺境論 (新潮新書)

日本辺境論 (新潮新書)