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正直になれない大学生ブログ

趣味、鬱憤、等々つらつら書いていく。そんなブログ。

教育界の悪習

新書

残念な教員 学校教育の失敗学 林 純次

 
 
 私の思い出せる限りの残念な教員は、生徒の気持ちを考えない教師だ。中学三年の担任は日によって機嫌が変わり、受験期であった私はその先生の機嫌を推し量るのに疲れてしまっていた。そのため、面倒見の良い中学1年の時に担任だった先生によく相談に乗ってもらっていた。
 
 著者の言う残念な教員とは、『生徒を成長させない教員』のことだ。具体的には、役に立たない”いい先生”、練習をしない先生などである。 
 簡単に”いい先生”とは、新しい教育を学ばずに、懸命に業務だけを遂行しようとしてる”いい人”のことである。著者はこれに対し、『”いい先生”とは、”どうでもいい先生”の証明である』と述べ、佐藤学の『教師花伝書』にも『教えるという不遜な仕事を教師が行うことができたのは、教師自身が他の誰よりも読書をし、学んでいたからである。』と書かれており、教師が教師であるためには常に学ばなければならないのだろう。
 また、教育界には、『教員は猿を人間にするのが仕事』という悪言があるらしいが、著者は、先の教員を『人の皮を被ったモンスターが、人間の子供を騙して飯を食っている』と激しく批判する。 
 著者の教育はと言うと、例えば、生徒に思考力や物事の見方を身につけさせるために、新聞を6社で比較検討させる授業を行っていたそうだ。
 偶然にも、今受けている授業の教師も著者と同じジャーナリスト上がりで、今新聞を読んで比較検討する授業を行っている。しかし、その教師は、比較はさせるものの、それに対し、「面白いなぁ〜」などという小学生並みの感想程度のことしか言わないので、物足りない。
 
 学校(特に中学、高校)は教員を採用する際に管理職が正しく能力を見極められていない。また、意欲がある教員も周りに潰され、残念な教員になってしまいかねない。学校教育者は、これから未来がある子供たちの大事な時期を無駄にさせないように努力を惜しまないで欲しい。
 
 
 
残念な教員 学校教育の失敗学 (光文社新書)

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