正直になれない大学生ブログ

普通のことを普通につらつら書いていく。そんなブログ。

「生」の実感を求めて

どうも「生」の実感がない。
 
文章を書いている時、私は「何か」を拾っている。
廊下に唾を吐いている人を見て感じた「何か」
カップルの会話を聞いて感じた「何か」
電車のマナーで感じた「何か」
 
これらは全て自分が対象と関わっていない。
 
 
 
先日フォローしてくれた方は実際に出会い系であった人とのやりとりを記事にしていたが、やはりその実体験に面白さが感じられる。
 
だから、やはり人と人同士のやりとりが1番「生」を帯びる気がする。
どこか頭でかっちの私では及ばないところだ。
 
今回の記事もまた、相手の情報を拾っているだけだ。
「生」の実感はない。
 
あまり就活の話はしたくないが、私は「生」の実感を得なければという気持ちで営業を希望している。
しかし、「成長したい」で入れてくれる会社など少ないから困ったものだ。
 
そもそも何が問題かというと、ここでも実態のない「何か」を求めているところだ。
営業職に就けばたくさんの人と関われる、いろんな人と仕事ができると考えてしまっている。本来営業職に志望するのは、今までたくさんの人と関わってきてその面白さをもっと追求したいとか活かしたいとかそういう人だ。
「色んな人と関わりたい」なら今動けばいいだけの話なんだ。今ある環境、つまり学校、バイト先、近所…で。たったそれだけのことができない。
 
女々しいな私は!!

大人になってから(再)

年上の義務 (光文社新書) 山田 玲司 (著)

 

 年上というと真っ先に大人を思い浮かべる。


 大人はかっこいい。小学生ぐらいの時にはよく思った。先輩はかっこいい。中学入学当初は3年生を見て大人っぽいなと憧れた。大学に入って、大人は減った。代わりに本書で取り上げられるような老害に近いものが増えた。「最近の若者は」から始まる定型文から始まり愚痴と説教に終わるその時間はとても無駄な時間ように思える。そもそも大人はカッコいいという幻想はどこから生まれたのだろう。それは自分ができないことを成し遂げている姿に感激したからではないだろうか。小学生の時に重い杵を持つ大人の力に圧倒され、中学の時には部員をまとめ一喝するそのカリスマ性にあこがれた。
 しかし、段々とその憧れた「大人」たちを見ることが少なくなってきた。大学生になると、サークルやゼミ、また就活などで目上の人と出会うことが多くなるが、そんな時かっこいいと尊敬できる人を何人見つけられただろうか。入ったばかりの1年生を食い物にしている先輩をよそ目に落胆した人はいないだろうか。威張ってばかりいるサークル長に疲れを感じなかっただろうか。目が濁っている教師の授業を見て時間の無駄だとは思わなかっただろうか。ああはなりたくない大人ばかりが目に付くようになったのは、私が人のダメな部分をよく見るようになってしまったからなのか。それは分からないが、とにかく全然かっこよくない。そんな人に何か言われたとしても何も響くものはない。「間違った時、知らないことを聞かれたとき、素直に認められないのは、間違った、知らない自分を自分自身受け入れられていないからなのだ」という意見がある。たしかに、自分の非をすぐに認めることができない大人はかっこ悪い。これは人がもうこの先の成長を諦めてしまっているからだろう。もし、自分の非を認めることができなかったら、このままではいけないと考えられなかったら、立ち止まり続けることに変わりない。成功したことに味をしめて何度も同じことを繰り返す先輩や先生に対してはそこで憧れを失う。


 本書に書かれている視点は年上から見た視点なのか、年下から見た視点なのか、また世代論について語っているのか軸が定まっていない部分もあるが、年上のどこに尊敬できないのかが垣間見え、身近な「年上」のどこを尊敬できてどこに残念と感じるのかを考えるきっかけになるはずだ。「愚痴る」「威張る」「いつも不機嫌」な年上を見かけたなら見切りをつけて早々に立ち去るべきである。

 

印象に残った言葉

逃げるのに限界を感じたら、今度は『逃げてきた問題』と戦わなければならないはずだ

 

年上の義務 (光文社新書)

年上の義務 (光文社新書)

 

 

今週読んだ本

  • 教養としての宗教入門 - 基礎から学べる信仰と文化 (中公新書) 中村 圭志 (著) – 2014/11/21
  • ローカルメディアのつくりかた:人と地域をつなぐ編集・デザイン・流通(学芸出版社) 影山 裕樹 (著)   – 2016/5/25

フェミニズムに違和感を感じていた私

女ぎらい ニッポンのミソジニー(紀伊國屋書店) 上野 千鶴子 (著)

 

 男には、選択することによって女が女として成立させるだけの強さがある。しかし、反面男は女をはべらせないと男として認められない。つまり「ホモソーシャル」に加わることができない。

 

 女が男に選ばれることによって女となることに葛藤を感じて生まれたのがフェミニズムだというが、逆に男が葛藤を感じて解放運動を始めて生まれたのがメンズリブだという。男が葛藤を感じるときとはすなわちどんな時だろう。それは「ホモソーシャル」に加えてもらえない。お前は男じゃないと断定される恐怖を味わうときだろう。「男でない」つなわち「貫かれる者」、劣者となる時。「男性がもっとも怖れたことは、『女性化されること』、つまり性的主体の位置から転落すること」であり「男になりそこねた者と女とを排除し、差別することで成り立っている」のであるから、そこからあぶれ客体化してしまった人たちの群れがメンズリブになっているのだと思っている。しかし、メンズリブというものは基本的に女性禁制である。ここにかなり疑問が生じる。なぜならそこで集まったとしても、それはホモソーシャルの再構築なのではないかと思ってしまうからだ。現に大塚健祐は「あるメンズリブ関係者から、『メンズリブの集会で女の味方をする輩』(『はじめて語るメンズリブ批評』)」という糾弾を浴びたそうだ。フェミニズムも現在は女性だけの問題と考えられている。しかし、男女の平等という目的を達成するためには女だけ男だけと視野を狭めていたら一向に達成できない。メンズリブは「男性の中でしか鎧を脱げな」い状態であるならばそれは解放と言えるのか甚だ疑問である。

 

 フェミニストにもメンズリブにも様々な主義主張があり、「なんでも平等!」と、さも女だけがこの問題を騒ぎ立てる権利があるように振る舞うことは何も考えていないように見えるし、相撲の女性禁制問題で「フェミニスト」達が一斉に騒ぎ立てていたことに疑問を感じていた。ミソジニー、女嫌いという本書のテーマだが、そこにはフェミニズムがどういったもので男と女の関係性がどう影響を与えているかを考えさせるきっかけを与えてくれた。女ぎらいは男だけの問題でも女だけの問題でもない。なぜジェンダーフリーを目指すことは片方の性だけの問題ではないのか。それは本書のミソジニーがどういったものであるかを知ることによって理解しやすくなるはずだ。

 

印象に残った言葉

ミソジニーの男には、女好きが多い。(中略)女を性欲の道具としか見なさないから、どんな女にもハダカやミニスカなどという「女という記号」だけで勃起できる。(中略)このメカニズムが男に備わっていなければ、セックス産業は成り立たない。」

 

女ぎらい――ニッポンのミソジニー

女ぎらい――ニッポンのミソジニー

 

 

今週読んだ本

胃はなんでも消化する

ラーメンを食べてお腹がいっぱいだよ、もう食えない。
普通。
 
恋人と別れてお腹がいっぱいだよ、もう食えない。
異常。
 
別に異常ではないがよく考えてみると異常ではないがなんだか異常だ。
何が異常って物体を食していないのにストレスという物体のないものでお腹がいっぱいになっていることがだ。
 
しかし、嫉妬、疲労、悲しさ、なんでも良いがストレスによる食欲不振は皆経験があるのではないか。何も食べれないという極端な例でなくても、食欲がないなどと。
胃の中には何も入ってないのだけど、なんだか胃が重いみたいな。(昼二郎ラーメン食べて胃がもたれてるは除く)
 
それって胃がストレスも消化しているからなのではないか。論理的飛躍待った無し。
でもそうしか思えない。私もストレスで食欲不振になることはある。その時はストレスで胃が重いのだ。一日中何も食べてないけどなぜだかお腹は空かない。なんだか胃が重い。もうお腹いっぱい。
 
受験に勝つ! などと言って受験前日にトンカツを出してこられると苦しい。こっちはストレスを消化させるのに精一杯なんだ。
そういう時にこそあまり重くない刺身やサラダ、そうめんなど軽いものを出して欲しい。
 
食欲が湧かない時は、自分の身体に溜まったストレスを消化している時。
無理してたくさん食べず、胃にはストレスの消化に専念してもらいたい。
 
 
なんの話だいったい。

信じたい情報だけを信じる=あきらめ

すべての新聞は「偏って」いる ホンネと数字のメディア論 (扶桑社) 荻上チキ (著)

 

 偏見で「朝日新聞売国奴だ!」「読売新聞は安倍と繋がっている」と思ってはいないか。それだけではなく、常に自分の都合の良いようにバイアスをかけてはいないか。そのためにもリテラシーの重要性を理解し情報を取捨選択する力を養うべきだ、というだけの本ではない。新聞を切り口にし、メディアが生む偏りがどういったものかを丁寧に教えてくれる。

 

 「すべてのメディアは『偏って』いる」。新聞テレビの報道であれ趣味で撮るカメラでさえそこに「バイアス」がかかり中立は存在しない。例えば、新書について考えてみたい。新書にはレーベルというものがありそのレーベルを置いているのは出版社である。バイアスの強い岩波新書、ユニークなタイトルが多い光文社新書、自然科学を強みとするブルーバックスなど、出版社にはそれぞれのカラーが存在し、かつ種類が豊富だ。

 そこで、小飼禅は『新書がベスト』で新書の値段の安さを活かして「にわか専門家になりたいとき」は1冊を読むのではなく関連した10冊を読むことを推奨している。これは情報が偏らないようにしているわけである。本書の最終チャプターでポジ出しの14「横断的な世論調査まとめサイトをつくる」とあるが、そこからさらに飛躍して、「横断的に情報を取得できるサービスをつくる」ことができれば多面的な理解が可能になると感じた。そこまでは難しいにしても、津田大介が言うように「基本のサービスは無料で開放して、付加サービス」などを「料金を払って」読める形態にすることぐらいはできるのではないか。現在音楽業界では『AWA』や『Spotify』、漫画業界では『Komiflo』と会社を横断して楽しめるサービスも広まって来ている。

 

 情報社会と言われる昨今は、情報いかに多く知り活用していけるかが重要である。本書の魅力は、情報が正しいかという「透明性」や受け手の要望に答える「応答性」を情報の送り手に求め、決して受け手側だけにリテラシーを求めるのではない点だ。「こじんまりとした提言で一歩ずつメディア社会をよくしよう」という目標のもと小さな事例を紹介していき、「全文報道をする」「ソースへのリンクを貼る」などメディア側の責任もあると訴える。すると、こんなサービスが欲しい、必要だと考えが湧き上がってしまうくらい、メディアの課題が山積みであることを実感する。

 

すべての新聞は「偏って」いる  ホンネと数字のメディア論

すべての新聞は「偏って」いる ホンネと数字のメディア論

 

 

印象に残った言葉

「安易に『真実』を求めず、自分の『偏り』と社会の複雑さと向き合うということが重要」

 

今週読んだ本
  • 地域メディアが地域を変える (日本経済評論社) 河井 孝仁 (著), 遊橋 裕泰 (著) – 2009/5
  • 日本語教室 (新潮新書)  井上 ひさし (著) – 2011/3/1
  • 名画で読み解く イギリス王家12の物語 (光文社新書) 中野 京子 (著) – 2017/10/17