正直になれない大学生ブログ

趣味、鬱憤、等々つらつら書いていく。そんなブログ。

ちょっと疲れたかな(つぶやき)

 扁桃炎と蓄膿症を併発して、だいぶ疲弊している私ですが、ラインに関してさらに疲労が溜まっています。

 病気の時ほどナイーブになるので、ラインの返事がそっけなく感じたり(実際は何気ない会話)、ちょっと返信がないだけで未読スルーと感じたり、ちょっと本当に疲れる。 

 

 ある男友達とはラインの頻度が落ちてきて(って言っても3時間程度では返ってくる)、なんか後回しにされているように感じる。少し前までは、即レスに近い状態だったからかな。

 また、ある女友達Aには、既読スルーされたり、Bには返信があきらかに遅く(二日おきとか)なったり…。後回しにされてるよな、絶対。

 

 「お願い! もっとかまって!」って言いたいけども、プライドが邪魔して言えない。

 自分が忙しい時、どうでもいい時には雑に返信し、心さびしくなったら「もっと親身になってくれないの!」と相手のせいにする。自業自得といえばそうなんだけどさ。なんだか矛盾だらけですよね。

 自分がこの世にいないと言ったら大げさですけど、すごい寂しさや虚しさを感じます。

 

 

 体調戻ったらとにかくだれかと話したい。

書体はメッセージである。

本を読む人のための書体入門 (星海社新書) 正木 香子 (著)

 

 少し前に、密かに活版印刷ブームが起こり、先日には、日本人だけが読めないフォントで盛り上がりをみせた。

 現代は、書体に関して、人々が興味を持ち始めている時代なのかもしれない。

 

 『本を読む人のための書体入門』は、著者の正木香子さんが、書体に関して、読者一人一人がぼんやり感じていることを、独自の考えや視点から言葉に表してくれた本である。書体のハウツー本ではない。注意しよう。

 

目次

第1章 文字の名前を知らなくても

第2章 誰もが自分の書体を持っている

第3章 おいしい文字がある暮らし

 

文字を読むことと、書くことは表裏一体?

 「メディアはメッセージである」という言葉で有名な文明批評家のマーシャル・マクルーハンは、

伝えられる情報の内容とは関係なく、どんなメディアで情報が発信されるかということそれ自体にある種のメッセージが既に含まれていて、個人や社会に心理的な影響を及ぼしている(略)テレビによって視覚がひろがり、電話によって無限の聴覚を手に入れたように、すべてのメディアは人間の身体機能の拡張から生みだされたものであり、私たちはその特性を理解して情報と向き合うべき

だと主張した。

 これに対し、著者は、書体にも「読み心地」という身体的感覚の広がりを感じることができるのではにはないかという。

 文字に宿る身体性-線の動きやスピード、筆圧といった複数の要因によって書体が生まれ、同じ文字でも違う印象を与える。その結果、読者は言葉に対して、実際には存在しないはずの味わいや温度、手触りを感じる。

 どうしてそんなことが起きるかというと,私たちが文字を「なぞって」いるからです。
 手でなぞる代わりに、目をつかってなぞっている。私たちは文字を読みながら、実は「書く」ことを仮想体験しているのです。

 その書体でかかれた言葉を目にするとき、文字に備わっている本来の動き(運動)を読み手が理解していれば、言葉はより正確な像を結ぶことができる。

 運転に慣れた車のハンドルやブレーキのように、自分の身体の一部が拡張した存在になっていく。

 書体に注意深くなることは、今まで気づいていなかった自分自身の身体感覚に気づくということでもあります。

 言葉に変わることで、初めて、文字は運動を始める。

 その運動に身を委ねることも、読書の楽しみ。そう私は提案してみたいのです。

 絶対に一生かけないような美しい文字が、読書という運動では思いのまま。自分の身体の一部になるのですから。

 メディアは人間の身体機能を拡張したものだという主張を、書体に当てはめ、書体によって「読み心地」という身体的な感覚が異なるという展開にはすごく納得できた。

 「メディアはメッセージである」はよく聞くが、書体は飾り…印象が少し変わるぐらいのイメージしかなかったため、「書体もメッセージである」という意見にはひどく感嘆した。

 

 著者は、あとがきで「書体という地味なテーマ」と述べていたが、書体は、地味だけれども読書をする上では欠かせないものである。

 デジタル化が進む昨今にもう一度書体を考えてみるのもいいかもしれない。

 

印象に残った言葉

 「書体を選び、伝えるということは、他人とは違う感性を見せびらかすようなものではなくて、共感との出会いをつくること。」

 

今週読んだ本
  • 「かわいい」論 (ちくま新書) 四方田 犬彦 (著) – 2006/1
  • 伝える力 (PHPビジネス新書) 池上 彰 (著) – 2007/4
  • 悩む力 (集英社新書) 姜 尚中 (著) – 2008/5
  • ヤンキー進化論 (光文社新書) 難波 功士 (著) – 2009/4
  • 聞く力―心をひらく35のヒント(文春新書) 阿川 佐和子 (著) – 2012/1
  • 本を読む人のための書体入門 (星海社新書) 正木 香子 (著) – 2013/12

 

死というものについて

死の壁 (新潮新書) 養老 孟司 (著)

 
 「◯◯の壁」。ちょうど流行していた時期に私もにバカの壁を購入して読んだ。
 本書はその「バカの壁」の続きと思ってもらえれば差し支えないと思う。
 
 死というものを解剖学者の視点から説明し、暴論のような主張もところどころで見られるが、マクロな視点で書かれており、小難しい内容を砕いた文章でとても読みやすい。
 
日本メンバーズクラブ
 日本には独特の「メンバーズクラブ」が存在する。それは歌手のメンバーズクラブやジャニーズのファンクラブのようなものではなく、人間として存在の「メンバーズクラブ」である。どういうことかというと、死んだ人間は人間ではないと割り切ってしまうことだ。それを日本の死を「メンバーズクラブ」の脱退と例えたのがおもしろい。
 アメリカでは、死体がその人物そのものと考えるため土葬であるが、日本では、死んだものは魂として肉体から抜け出すと考えるため、現代では火葬が主である。
 死ぬと、暗黙の了解として、「死んだ奴は我々の仲間ではない」の「共同ルール」に照らして、「メンバーズクラブ」から脱退させるのだが、アメリカから見ると、とても異質に見えるようだ。
 少し前、日本の脳死問題(臓器移植問題)が大事になったが、結論として、「脳死は死ではないが、臓器移植は可」というものになった。これは、「脳死は死であり、臓器移植は可」となるのが理論的には正しいはずだが、「共同のルール」から考えて、矛盾が生まれないための苦肉の策であった。
 
人を殺してはいけない理由はすなわち、「壊れたら二度と作れないもの」 
 人間を機会のような壊れても直すことができると錯覚している人々が多い、と著者は指摘するが、実際そうとは思えない。直せないことなんて自明の事実であるから。しかし、そうであったとしてももしかしたらもう錯覚に陥っているのかもしれない。
 人間はもともと(今もそうだが)自然の一部であって、人間(動物、植物も)を殺すことは自然を壊すことになるため、人々は常に罪の意識を感じているのが普通であるという論理を展開する。
 そして、エリートと呼ばれる(例えば政治家や軍の幹部)人はその下の人間(国民や隊員)を統率する立場にあり、そのことを強く意識していないとならない。国民であったり、社員であったりの命を預かっていることを意識する必要がある。最近のエリートはそのあたりの意識が欠けてているようだ。
 また、エリートに物事を任せる我々も、「任せている」ということに対して罪の意識を持たねばならない。

 

印象に残った言葉

「死は不幸だけれども、その死を不幸にしないことが大事なのです。『死んだら仕方がない』というふうに考えるのは大切なことなのです。」

 

死の壁 (新潮新書)

死の壁 (新潮新書)

 

今週読んだ本
  • 死の壁 (新潮新書) 養老 孟司 (著) – 2004/4
  • 女性の品格 (PHP新書) 坂東 眞理子 (著) – 2006/9
  • 「婚活」時代 (ディスカヴァー携書) 山田 昌弘 (著), 白河 桃子 (著) – 2008/2
  • 脳に悪い7つの習慣 (幻冬舎新書) 林 成之 (著) – 2009/9
  • だから、新書を読みなさい(サンマーク出版) 奥野 宣之 (著) – 2009/9
  • つながる図書館: コミュニティの核をめざす試み (ちくま新書) 猪谷 千香 (著) – 2014/1
  • 新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方 (文春新書) 池上 彰 (著), 佐藤 優 (著) – 2014/11

ゲーム脳というやつ。時間が惜しい

子供の頃ゲームをやりすぎていると

ゲーム脳になるわよ!」とよく注意されたものです。

 

そして、大学生になって初めて私は、7月29日付けでゲーム脳になりました。

いつもはユーチューブ 再生機に成り下がっていたPS4が、珍しく本来の使われ方に(笑)

 

その日は10h以上プレイし、次の日も6時間と尋常ではない時間プレイしました。

すると、脳が退化していくように、頭に靄がかかり、思考力がかなり落ちていく…。

調べてみると、ゲーム漬けになっている人は、認知症の人と同じ波形になってるんですって。なんだかその二日間はボケーっとしてましたわ(苦笑)

 

これじゃいかんと思い、ゲームをやりすぎないように学校に行ったりして対処していますが、家にいたらずっとやっているのでしょうね。

 

こんなにゲームをやっている大学生はいるのでしょうかね。ちょっと不思議に思いました。

調べてみると、

www.todaishimbun.org

う〜ん、意外にやってるんだな。東大生じゃあんま参考にならないか。

スマホゲームもあるし、それも含まれてるんだろうね〜。

 

 あと、「大学生 ゲーム時間」で検索していたらこんな記事も。

ameblo.jp

うん、たしかにね。私も「一見真面目くん」の部類です。

ゼミもインターンもあるから適当に過ごしちゃいられないですね。

 

 

p.s. 7月29日発売のゲームといえば、そう! 「ドラゴンクエスト11」です!

 

勇者は魔王を倒せるのか…!

バッタを倒しにアフリカへ (光文社新書) 前野ウルド浩太郎 (著)

 
 本の魅力は、普段生きていて見聞きできないものを知ることができるツールだということを改めて感じた。
 バッタのが好きなことが強く伝わってくる熱い文章に、読んでいるこちらも楽しくなる。
 この本は、無職になったバッタ研究者の前野ウルド浩太郎さんが、研究のために滞在したモーリタニアでの体験記をまとめたものである。昆虫(特にバッタ)に対する情熱が伝わってくる。
 
目次

第1章 サハラに青春を賭ける

第2章 アフリカに染まる

第3章 旅立ちを前に

第4章 裏切りの大干ばつ

第5章 聖地でのあがき

第6章 地雷の海を越えて

第7章 彷徨える博士

第8章 「神の罰」に挑む

第9章 我サハラに死せず」

 

モーリタニアを冒険した博士
 フランス語が広く通用するモーリタニアに滞在した著者はフランス語が話せない。入国時には、よくわからずお酒を取り上げられたり、よくわからず関税を多く取られたり、たびたび被害にたびたびあっていた。
 とにかく失敗談が多く、想定している以上のことが現地で起きていた。その多々ある失敗から、著者は学び、バッタを追いかけていくうちに、次第に現地人の信頼をもらい、さらには日本やフランスに研究仲間や支持者を増やしていく。
 現地に単身で乗り込むことがいかに大変か伝わってくるのと同時に、素晴らしい人たちと巡り会えることに感動した。
 
 タイトルには、『バッタを倒しにアフリカへ』とあるが、そのタイトルが示している通り、バッタを追い求めて、研究資金を求めてもがき、研究者とは何かを自問しながら冒険する著者(勇者)とそれに対して一緒に協力した仲間達の冒険譚、伝記である。
 
 
 …これから論文を発表するため、バッタに関する詳しい内容があまり多くは出てこないことと、写真のフルカラー印刷がいくつかあり、虫が苦手な人には苦しいページがあることに注意したい。
 
印象に残った言葉
「つらいときは自分よりも恵まれている人を見るな。みじめな思いをするだけだ。つらいときこそ自分よりも恵まれていない人を見て、自分がいかに恵まれている感謝するんだ。」
 
バッタを倒しにアフリカへ (光文社新書)

バッタを倒しにアフリカへ (光文社新書)

 
今週読んだ本
  • 読書力 (岩波新書) 齋藤 孝 (著) – 2002/9
  • 20歳の自分に受けさせたい文章講義 (星海社新書) 古賀 史健 (著) – 2012/1
  • 大学の思い出は就活です(苦笑)―大学生活50のお約束 (ちくま新書)  石渡 嶺司 (著) – 2012/3
  • バッタを倒しにアフリカへ (光文社新書) 前野ウルド浩太郎 (著) – 2017/5