正直になれない大学生ブログ

趣味、鬱憤、等々つらつら書いていく。そんなブログ。

水槽統合とか、やっぱり田砂がいいとか、そしたらドジョウ買いたいよね、とか

久々のアクアリウム投稿。別に投稿することがなかったわけではなく、なんかそこに力が入らなかった。

メダカは卵を産んだり、スネールが爆殖したり、ミナミヌマエビが多量死したり、色々ありました。

 

で、先日、水槽を統合しました。

水槽統合といっても自室にある45cm水槽の生態を玄関にある60cmに移動するだけのお仕事で、メダカは祖母にあげたし、エビは大量死したしで、生態の移動は頑丈なブラックネオンテトラと数匹のエビのみなので、すんなりいきました。ついでに60cm水槽の方も少し掃除&リニューアルしました。

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統合して感じたのはやっぱり、管理が楽。
前までの2つを水槽を管理するのは、時間もかかるし、水も大量にいるしで大変だった。
加えて、自室のフィルター音がなくなり、安眠できるようになったことが一番でかい。

60cm水槽のソイルは入れ替えたのが2年前だからそろそろ変えてあげたいな〜。
今度は砂利にしようかな。本当は田砂が良いけど。


底面フィルターで田砂が使えたら最高なのに…。

 

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クリエイティブってこういうことか

身体が生み出すクリエイティブ (ちくま新書) 諏訪 正樹 (著)

 
クリエイティブな人間になるためにはどうしたら良いのか。
ものづくりに関する学問を専攻している者にとっては、重要な課題であると思う。
この本では、そのクリエイティブ性を磨くためには、身体知が必要だと述べる。
さて、身体知とは何であるか…。
 
無意識とは身体の発露
 私たちは無意識的に、行動している。
 仕事の帰り道はいつも同じ道を歩いてしまったり、毎日作っている料理は何も考えずに作り終えてしまったり…。また、私で、言えば、アルバイトの電話対応である。電話が鳴ると、頭で考えなくとも、素早く手が受話器に手が伸び、いつものような定型文が発せられる。
 このような無意識的行動は、本書において、身体の発露と呼び、一種のクリエイティブである。
 
身体の発露に至るまでの訓練
 さて、身体の発露に行き着くまでには、どうしたら良いのか。
 それは、「身体の反応に対して、自分なりに解釈を入れること」である。
 筆者は、コーヒーやお酒を例に出して、身体の反応(味覚で感じた味)を言葉で表現することを繰り返しトライすることで、新たな発見ができることを説明する。
 

「体感に向き合う」とは、身体が環境に遭遇してして得られるいろいろな現出に対して自覚的になることを意味するのだ。ことばの力を借りて様々な体感を渡り歩き、微妙な差異や類似性を意識するからこそ、現出に自覚的になることができる。

 
 現出とは、言わば、意識して何かを捉えたもののことで、普段無意識に見えているもの、思っているものを、しっかり意識して言葉に表すことが、クリエイティブになることの訓練になるというのだ。
 
これからの活動に向けて…
 身体の発露に至る経緯を私なりに、わかりやすい例を挙げて説明したかったのだが、新しい発見を得たという現象が自分にあったかどうか考えて見ると、そこまで印象的なエピソードがなかったので、説明できなかった。
 ただ、自己分析に少し似ているような気がした。自分のことを小学生の時や、グループワークの時の自分など、あらゆる視点の枠から考え、意識に上らせて、いつしかその枠から超えた発見ができるように思える。
 なので、これからの就活にむけて、また、これからのクリエイティブな活動に向けて、本書にある訓練を少しずつトライしていってみたいと思う。
 趣味においては、私の好きな、お酒、コーヒー、カメラ、読書あたりからトライしていってみたい。
 
<小学生の自分を考察している私を恋愛を楽しんでいる自分を考察している私を考察している私を考察すしている私>
 

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身体が生み出すクリエイティブ (ちくま新書)

身体が生み出すクリエイティブ (ちくま新書)

 

 

今週読んだ本
  • 身体が生み出すクリエイティブ (ちくま新書) 諏訪 正樹 (著) – 2018/2/6

「楽しそうだね。」はキラーワード

「それ楽しそうだね。」って言葉は苦手。
 
会話の流れ上、その言葉を使うのは仕方のないこと思うけど、「楽しそうだね。」って言われるといつも「あぁ…でも…」とはっきりしなくなる。
 
それは、そのことに関して本当に楽しいと思っているかに確信が持てないからだ。
 
いや、格好つけた。
実際それは、「楽しそうだね。」を言ってきた人にとって、いや、世間的に楽しいという基準をクリアしているか不安になるからだ。
もし、相手にとって楽しいと全く思ってなかったら…。
もし、世間的にそれは楽しいという基準に達していなかったら…。
そうだったら恥ずかしい。
 
 
「趣味なんなの?」
「え、カメラとか読書だけど」
「カメラ!楽しそうだね!」
「いやでも、そこまで詳しくないし」
 
「大学でどんなこと学んでるんですか?」
「制作とかそういう系なんだけど…」
「え! 大学でそんなことやってるんですね。楽しそうですね。」
「ん、普通かな…」
 
「夏休みどっか行った?
「友達と車で旅行に行った」
「いいなー! 楽しそう!」
「まあまあ…かな」
 
具体例としては、あまり具体的ではないけど、こんな感じの返答になる。
あとは、インターンで「今日は楽しかったですか〜?」に手を挙げられない。それは、別につまらなかったわけでもない。

「楽しそうだね。」と言われたことに対して、私は充分に楽しいとは感じているけど、周りをみたらそれ以上に楽しそうだし、本当に楽しんでるって言えるのかなって思っちゃう。
そうやって周りをみて、楽しさを測っているし、もっと言えば、自分自身がその楽しさに満足していないだけなんじゃないかなって思うときもある。
 
占いとか、自己分析とかで、よく野心家って書かれるけど、こういう所に表れているんじゃないかな。現状に満足できなくて、もっともっと、と求めてしまう。
 
たとえ、周りの楽しさに追いついたとしてもすぐ、周りを見て、さらに上を求めてしまうのかな。
それともそこで満足してしまうのか。
実際にそこまで到達しないと分からない。
 
そもそも、コンマ何秒で、到達→求める、を繰り返しているのか。
もし、そうだとしたらいつまで経っても…。

雑草から学ぶ雑草魂 〜身近にいる雑草について知る〜

雑草はなぜそこに生えているのか (ちくまプリマー新書) 稲垣 栄洋 (著)

 
 雑草を取り上げるなんてなんてコアでニッチな主題なのだろう。思わず購入してしまう。
 この本は、雑草の特徴取り上げて、紹介するだけではなく、雑草の性質を人間に置き換えて考えるような、自己啓発の面も持ち合わせている。
 
雑草の主軸はブレない
 ほかの植物にも当てはまることだが、雑草の基本的な目的は「花を咲かせて種子を残すこと」であり、こと雑草においては、その目的に対する執念がすごい。
 その執念を感じられる部分は、雑草の多様性である。
 雑草は、目的を達成するために、環境に対応する。
 例えば、種子は休眠性を持っており、生育できる環境にならなければ、発芽しない。それだけではなく、環境が整わなければ、再び休眠に入ったり、光の刺激に反応して発芽するなど様々である。また、種子を作るために花を咲かせたり、種子の運搬方法にも多様性が見られる。
 特に、この種子をつくる(受粉)ための花の進化については、自然の力に圧倒される。
 
 雑草から学ぶこと
 雑草から学ぶこと、というのも変な感じがすると思うが、言ってることはたしかに納得できる。
 雑草から学ぶ点は2つある。
 1つ目は、ブレない軸を持つこと。
 先にも述べたが、雑草は「花を咲かせて種子を残すこと」を目的に、その多様性を増やして、変化している。これは、人間にも重要なことで、ある軸(目的)を持つことで、この目的を達成するための手段に優先順位がつけられることにつながる。
 2つ目に、ナンバー1を目指すこと。
 自然界では、ナンバー1ではないと、生きることができない。
 これは、自然界で当たり前のことと言われて当惑した。しかし、話の続きを読んでいくと、それは少し、違った意味で捉えていることに気づいた。
 ナンバー1になれるオンリー1の場所がニッチであるそれは、自分の得意なことや、好きなことになる。そこで、少しずつずらしながら、その周辺で自分のニッチを探すのだ。好きなのに苦手なことは、少しずらせば、得意なことになるかも知れない。得意なのに好きでもないことは、少しずらせば、好きなことになるかも知れない。「ずらしてみる」というのは生物にとって、重要な戦略である。すべての生物は、そうやってずらしながら、ナンバーワンになれるニッチを求めているのである。
 つまり、「棲み分け」を行うということであった。人間的に言うとキャラが被らないようにすること。
 ナンバー1になれる場所(ニッチ)を見つけ、自分の好きなこと、得意なこと、あるいは、苦手なことから、ナンバー1を目指すことを雑草は教えてくれるのである。    
 
印象に残った言葉
「教わらないことの方が学ぶことが大きいときもあるのだ」
 
 
 
今週読んだ本
  • 取材学―探求の技法 (中公新書) 加藤 秀俊 (著) – 1975/10/25
  • 身近な鳥の生活図鑑 (ちくま新書) 三上 修 (著) – 2015/12/7
  • 雑草はなぜそこに生えているのか (ちくまプリマー新書) 稲垣 栄洋 (著) – 2018/1/10

半数以上消えた寂しさ

ブログを始めて早1年半経ちました。
 
 
変わったことといえば、最近やたらpvが増えたことと、購読しているブログの半数以上の更新がなくなったことぐらいでしょうか。その2つ重要なんですけどね。
 
まず、pv数については最近、自分が寝ぼけて稼いでいるんじゃないかなっていう気がするので、まあ、置いといて。
購読しているブログの半数以上が更新しなくなった。悲しい…悲しい!
 
私好きだったんだよ。
大学生の等身大の日記とか雑記とか。
読んでて、「私もそう思う!」 を感じていたんだよ。
 
それがいまでは、ほとんどない。
購読中のブログを見ると、ほとんど「pro」の文字が表示されてる。
そういう情報発信しているブログもありがたいんだけど、やっぱり、日記系ほしいな…。
 
また探します。そういうブログ。
また、消えていってしまうのだろうけど。
 
 
きっと居なくなってしまった人は、現実に返っていけたんだね…
私はまだ、ブログというものを少しだけ心の支えにして生きていますよ。